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年間行事
春季大祭
聖武天皇天平三年辛未春勅して曰く「国内悪疫流行す、此に敢て蒼生途炭の苦に陥り震憂に堪へず依って国家安全鎮疫のため弊帛を献り大祓を執行すべし」と例に習ひ爾後毎年二月四日大祓に執行して参りましたが、明治維新の後、祈年際と改称し古例にならひ氏子一統拝殿に集り大祓の詞を同音に奏し、終って一同に盛相飯を賜ります。昭和二十一年より四月五日に改め、春季大祭を斎行しております。
春季大祭 |
10時 |
氏子崇敬者の参列のもと、国家安全・豊作を祈願いたします。また、献花・献茶も行われます。 |
御神楽祈祷 |
11時 ~ 14時 |
氏子崇敬者に頒布している神楽券をお持ちいただき、拝殿にて神楽を受けていただきます。 |
管弦・神楽・舞楽奉納 |
14時30分~ |
特設舞台にて、なにわ雅楽会の方々が神楽・舞楽の舞と演奏を行います。 |
※当日の進行状況により多少の時間変更があります。
※令和3年4月5日(月)の餅まき神事並びにお抹茶の提供は中止します。
春季大祭
御神楽祈祷


管弦・神楽・舞楽奉納









餅まき神事
令和3年泉穴師神社春祭 管弦・神楽・舞楽 演目

- 「管弦」壹越調(いちこつちょう)音取(ねとり)
- 「管弦」春鶯囀(しゅんのうでん)入破(じゅは)
中国の唐の三代皇帝高宗(こうそう)が鶯(うぐいす)の声を聞き、楽師に命じてそれを模して曲を作らせたとも、
合管青(がっかんせい)という人の作曲で、唐で皇太子が立つときにこの曲を演奏すると、必ず鶯が集まりさかんにさえずったとも伝えられています。(出典/文化デジタルライブラリー)
- 「歌物」朗詠(ろうえい)紅葉
朗詠とは、雅楽のジャンルの一つで、謡物と呼ばれる声楽曲のことです。
楽曲はメロディアスな旋律ではありませんが、独特の抑揚をもった、しっとりとした雅楽風の旋律で、漢詩にそのメロディーをのせて謡うのが朗詠です。(出典/歌舞管弦~雅楽的音楽研究書~)
- 「浪速神楽」相舞(あいまい)
「昔より ためしにならう 瑞垣はつくりし日より 神さびにけり」
「めずらしな 今日の神楽の 八乙女を 神もうれしと 偲ばざらめや」
- 「浪速神楽」鉾の舞(ほこのまい)
「久方の おめよりおろす 玉鉾の 道ある御代は 大やしまくに」
「この鉾は いづくの鉾ぞ 天にます 豊玉姫の 神の鉾なり」
- 「舞楽」左方舞 春庭楽(しゅんていらく)
唐楽に含まれ双調。四人舞の文ノ舞(平舞)。「和風長寿楽」、「夏風楽」とも呼ばれる。番舞(つがいまい)は白浜。
舞楽を一帖のみ舞うときは「春庭楽」といい、左方蛮絵装束に巻纓(まきえい|けんえい)・緌(おいかけ)の冠をかぶって舞うが、
二帖(2回くり返す)舞うときは、「春庭花」といい、左方蛮絵装束の右肩を袒(ぬ)ぎ、巻纓・倭の冠に挿頭(かざし)をつけ、太刀を持って舞う。
春の庭に花と戯れるようすを舞にしたものという。(出典/世界大百科事典第2版)
- 「舞楽」右方舞 納曽利急(なそりきゅう)
代表的な右方高麗楽(こまがく)。高麗壱越(こまいちこつ)調。
通例2人で舞われるが、1人のときもあり、この場合「落蹲(らくそん)」と称する(ただし奈良の舞楽ではこの逆に称する。)
楽曲は破と急の2章よりなる。雌雄2頭の竜が戯れながら天に昇る姿を舞にしたといわれ、「双竜舞(そうりゅうのまい)」の別名もある。
走舞(はしりまい)に属し、2人の舞手は背中合わせで大きな輪を描いたり、互いに斜め方向に飛び離れたり活発に動く。
舞人はつりあごの面をつけ、毛べりの裲襠(りょうとう)を着、右手に銀の桴(ばち)を持つ。面は紺か緑の地に銀色の目玉と牙(きば)をつけて竜を模す。
童舞(どうぶ)でも舞われ、このときは面でなく頭上に天冠をつける。古くは相撲(すもう)や競馬(くらべうま)で右方の勝利を祝して舞われた。
番舞(つがいまい)は「蘭陵王(らんりょうおう)」(出典/日本大百科全書)
- 大食調 音取
- 長慶子三度拍子
※演目は当日変更になる場合もあります。演奏:日本雅友会
平成31年泉穴師神社春祭 管弦・神楽・舞楽 演目
- 「管弦」太食調(たいしきちょう)音取
- 「管弦」輪鼓褌脱(りんここだつ)、唐楽、太食調、小曲、早只四拍子、拍子二十三、新楽、舞なし
「褌脱」の「褌」は「渾」の字を当てることもある。もとは乞食調または平調の曲であった。散楽の一つであったろうといわれているが、舞は絶えてしまった。
源順の説によれば、輪鼓(りゅうご)という鼓の形をしたものを糸のついた2本の棒で操る遊戯の伴奏曲であるという。
催馬楽の「安波戸」に曲があったというが、歌の方は絶えてしまった。
記録には「剣気褌脱」「輪鼓褌脱」と角調の「曹娘褌脱」の3曲が残されているが、「剣気褌脱」「輪鼓褌脱」の2曲が残されている。(出典|寺子屋NET;雅楽解説より抜粋)
- 「管弦」大きな古時計、アメリカ合衆国のポピュラー・ソング
「おじいさんの古時計」という邦題もある。作詞・作曲はヘンリー・クレイ・ワークで、1876年に発表され、当時アメリカで楽譜が100万部以上売れた。
ワークがイギリスを訪問している際に、宿泊先のホテルの主人から聞いたエピソードにヒントを得て歌にしたものである。(wikipediaより抜粋)
- 「浪速神楽」あやめ刈り
「いさぎよく 神をいさめて 菖蒲かる 君のめぐみは 民のよろこび」
- 「浪速神楽」片吾妻胡蝶
「広前に 扇かざして かなずるを 蝶のあそびと みそなわしわまう」
- 「舞楽」右舞、胡蝶(こちょう)蝶をモチーフにした舞楽。胡蝶楽、胡蝶の舞とも呼ばれる。
高麗楽(三韓楽の一つである高麗楽~高句麗の民族音楽~では無く、渤海楽・三韓楽を中心に平安時代に編集された音楽様式)・右方の舞に属するが、渤海や朝鮮半島が起源なのではなくて高麗楽の様式に則って日本で作られた曲。
迦陵頻の番舞(つがいまい)として作られたため、迦陵頻を形式や装束のベースにおいている。曲の調子は高麗壱越調(唐楽の平調と同様)。作曲は藤原忠房、振り付けは敦実親王(wikipediaより)
- 「舞楽」左舞、北庭楽(ほくていらく)唐楽、壱越調、中曲、早八拍子、拍子十四、新楽。舞あり(舞人4人)
亭子院(宇多天皇、887~896)のとき、不老門の北庭でこの曲を作らせたので、北庭楽の曲名がある。曲は大戸清上、舞は三嶋武蔵の作といわれている。
舞人は右肩をぬいだ襲装束を着る。調子で舞人は舞台に出て舞い、重吹で入る。番舞は「八仙」(出典|寺子屋NET;雅楽解説より抜粋)
- 「舞楽」右舞、陪臚(ばいろ)
雅楽のなかの唐楽の曲名。平調に属する。舞があり、4人で舞う。(今回は急のみ、2人で舞う。)
元来林邑楽(りんゆうがく)の一つであったとする説もある。2拍子と3拍子が交互に繰返される夜多羅(やたら)拍子という珍しいリズムから成り、その舞も軽快で構成力に富む。
古来大坂の四天王寺楽人によって伝承された舞曲で、おもに四天王寺聖霊会のとき、左方と右方の2つの流儀を兼ねる舞曲として上演された。
やがて宮廷で採用されるようになってからは、左方式の舞の代表曲である『太平楽』の答舞として右方の舞に配され、今日にいたる。
舞楽として上演するときは、平調調子を前奏ののち、この曲を序破急のなかの破の舞とし、急の舞として壱越調の「新羅陵王の急」を配する。
舞人は朱色の装束を着、左手に楯、右手に鉾を持ち、太刀を着ける。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
- 長慶子三度拍子
※演目は当日変更になる場合もあります。演奏:日本雅友会
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